小説

久音ヶ丘寒中水泳

「1、2、3、4、5、6、7、8!!!」 浜に心地良く響く若々しいユニゾン。 少しやけくそにすら聞こえるのはきっと、 どうしようもない寒さから少しでも気を紛らわせるためであろう。 久音ヶ丘学園中等部3年の、元日の定例行事、「寒中水泳」。 浜辺から100mの沖合に浮かべられたポールまで泳いで戻ってくるという、 正月のニュースで良く目にするあれだ。 彼らからしてみれば、 冬休みの真っただ中に狩り出されただけでも勘弁してくれという話だろうが、 加えてさぁ極寒の海に飛び込めというのだから、 いやはやなかなかの仕打ちである。 どう贔屓目に見ても苦行であり、かつ参加は任意でありながら、 毎年欠席者がほぼいないのは、 高校受験の合格祈願も兼ねての身の清めであるとされているためであり、 毎年進んで参加を希望する者も多く、長年の歴史を通じ、 「ほぼ強制参加」というのが暗黙の風習になっているらしく、 3年の中でも誰が言うでもなく、それが共通認識となっているようだ。 だからと言って、嬉々として参加するような猛者はそうそういない。 特に男子。この日に特別な覚悟を決めて臨む者が多い。 何故?寒いのは男女平等じゃないか。 確かにそうなのだが、問題はその「恰好」にある。 女子は、いわゆる学校指定のスクール水着を着用するのだが、 男子の場合はそうはいかない。 全員赤い褌、いわゆる「赤フン」を装着し、凍てつく海に挑まなければならない。 褌なんて、日本男児であれば一生に一度くらいは 締めてしかるべきものである、と、腹をくくるが吉であろうが、 久音ヶ丘寒中水泳においてはそうもいかない。 まず、誰の趣味だか知らないが、とにかくその生地が薄い。 赤く染色されているにも関わらず、 少しでも濡れると使用者の肌の色が透けて見て取れてしまうほど。 次に、極端に狭いガードエリア。 最低限、局部が隠れればいいだろうという、 職人の怠慢から誕生したのではと疑いたくなるほどの心もとなさである。 そして極め付けは、どんなにきつく頑丈に巻いたとしても、 水に浸かると必ず緩んでしまうという謎のアンロック仕様。 通称「ポロリ褌」。男子達が最も危惧し恐れるのがここである。 しかし、往年の先輩たちの完泳後の姿を過去何回と見ている手前、 出てしまうのが普通、タマがはみ出るくらいで済めばついている、 くらいの気持ちでいる方が気が楽であり、 数10分後に自分たちに待ち受けているであろう残酷な運命を、 男らしく受け止めている生徒が大多数を占めているようだ。 「うおおおおおおお!!」 そうこうしている内に、寒中水泳2013開幕の時。 それぞれの思いや覚悟を胸に、自らを奮い立たせる雄たけびとともに、 久音ヶ丘学園中等部第3学年一同、いざ、入水。 例年どおり、浜辺には彼らの勇姿を一目見ようと集まった、 あまたのオーディエンスたち。 来年に向けて先輩に自分を投影し、人知れず胸を痛める中等部の後輩AとB。 憧れの先輩の危なげな布1枚姿とその肉体美、 そして恒例の寒泳後ハプニングを想像し胸を高鳴らせる中等部の後輩CとD。 教え子たちの奮闘に胸が熱くする中等部の教師E、 過去を思い出し感慨にふける高等部の先輩F、 その他親族、親戚、地元住人、地元テレビ局のカメラマン、 はたまた遠方から来たお祭りマニアの自称カメラマン等々、 その数、優に100人、200人を超えている。 観客の「眼」も三者三様。その色、輝き、ギラつき、目つきから、 彼らの「本当の目的」を窺い知ることが出来そうだ。 「来たぞ。」「来た来た。」 間もなく、往復200mの地獄のレースを終えた勇者たちが、 大観衆の待つ浜へと帰還する。 先陣を切ってその姿を現したのは、サッカー部のキャプテン。 Cの憧れの先輩。 「おおおお。」 温かい歓声と湧き上がる拍手、そして、 「あははは。」「きゃー。」 嬉々とした笑い声と悲鳴が続く。実に、例年通りのリアクション。 濡れた褌は立派に成長した下半身の形状を容赦なく浮かび上がらせ、 緩んだ褌は隠すべき部位を容赦なく露出させる。 生い茂った毛は丸出しになり、局部も5割方見えてしまっている。 そんな彼になどお構いもなく、四方八方から焚かれまくるフラッシュ。 当の本人は、強烈な寒さに隠そうとする意志すら奪われ、 ただただ無我に暖を取る場所を探している。 想像をはるかに超える先輩の恥態に、口元を覆い言葉を失う後輩C。 目には薄っすら涙を浮かべているが、 その視線は決して「そこ」から逸らされることはなかった。 彼の生還を筆頭に、次々と精鋭たちがそれに続く。 全身を確実に隠したスク水女子生徒の姿もちらほらと見え始めたが、 やはり目を奪われるのは男子生徒の面々である。 あっちでぽろぽろ、こっちでぽろぽろ、至る所でおもひでぽろぽろ。 一刻も早くこのとてつもない寒さから助かりたい、という思いは、 凄まじく恥ずかしい姿を晒している、という事実を、 どうでもいいものにさせてしまうのだろうか。 絶望と形容すべきその光景に、直立不動で青ざめる後輩A。 自身の股間を優しくまさぐり、1年後の運命を自分なりに受け入れる後輩B。 子供たちの頑張りと、決して逃げ出さない強い心、 そして潔さに、ただただ感動する教師E。 つい1年前の自分の姿を重ね、何故か1年前以上の赤面を見せる先輩F。 そんな幾多の思いが交錯する最中、 たちまち観衆の注目が1人の男子生徒に集まる事態が起こる。 その視線の先にいるのは、野球部主将、兼、Dの憧れの先輩。 彼が、数ある裸体の中で一際目立ち、人々の関心を独占するワケ。 見れば一目瞭然。 まるでたった今この星に生まれ落ちたばかりのアダムのように、 産まれたままの姿で陸に上がってきたのだ。 きっと野球部の顔の名にかけて、気合の入れようも人一倍だったのだろう。 全力を尽くすあまり、褌は無情にも緩み、解け、そして彼方、 波にさらわれてしまったらしい。 サッカー部キャプテンと双璧をなす、もしくはそれ以上の運動能力を誇る彼。 少し到着が遅いのではないか?という大衆の疑問も、これにて説明がつく。 迷いに迷った挙句、腹を決めての素っ裸での登場と相成ったようだ。 両手で陰部を隠しているものの、剛毛ゆえに茂みの多くがはみ出している。 そんな緊急事態にも、嫌な顔1つせず、 見に来てくれた人のためにも、爽やかな笑顔をキープしている。 顔から首元まで綺麗に染まった赤が、彼の人柄、性格の良さを教えてくれる。 「きゃーきゃー!!」 Cとは対照的に、憧れの先輩の一糸まとわぬ姿に大はしゃぎで喜ぶD。 さすがに迷惑かもしれない、困らせてしまうかもしれない。 きっとそうだろう、でも、ずっと前から決めていたこと。 Dは先輩目掛けて走り出す。 「先輩っ!一緒に写真撮ってくださいっ!!」 カメラマンたちをかき分けかき分け、全裸の先輩の前に踊り出て、 目を輝かせながらそう言い放つ。 「おぉぉえええっ!?」 後輩と思われる女子からのお願いに少し狼狽するも、 「…おぉっ!いいぞっ!!」 満面の笑みで許諾する先輩。 「デジカメお願いっ!!」 友達に撮影役をとそれを手渡し、小刻みに揺れる先輩と肩を並べる。 気が付くとDにつられてか、周りには中等部の女子が集まっていた。 頼もしい胸、割れた腹筋、引き締まったお尻、鍛え上げられた肉体。 このときとばかりに、先輩の丸裸を目に焼き付けたのち、 「先輩ピースでっ!!」 遠慮のえの字もなく、更なる無理難題を押しつける。 「こうかーっ!?」 既にいくつかの感覚が麻痺しているのかもしれない。 相変わらずのカッコ良すぎる笑顔で、それに応じる先輩。 「きゃっ!!」 即席に顔を逸らし、体をよじらせるカメラ役の友人、プラス周囲の女子たち。 片手の退去により、より一層露わになる陰毛と、 確実に少しこんにちはしてしまっている先輩の「具」。 言うべきか言うまいか、言葉を探しながらモジモジしていると、 「早くしてくれーっ!さみぃっ!!!」 先輩からの心からの懇願、絶えることのないその無邪気なまでの笑顔に、 必死で罪悪感を押し殺し、「はい、チーズッ!」 後に自分たちの中で語り草になるであろうその写真を、SDカードへと収める。 「ありがとうございましたっ!それからっ…!!」 ポケットの中に隠し持っていた缶のコーンポタージュを差し出し、 さりげに女子力をアピールするD。 購買の自販機で買っては、美味しそうにグビグビと飲んでいる姿を、 良く目にしていたのだ。 「おーっ!これ好きなんだよっ!サンキューなっ!!」 ピースの右手で熱々のそれを受け取る。と、 「あ…っ。」 突如歩み出てきた後輩G。 その手には、Dが捧げたのと同じコーンポタージュが。 用意していた渾身のネタがまさかのダダ被り。顔をみるみる紅潮させる。 穴があったら入りたい、でも…。もう、どうにでもなれ…!! 「…お、お疲れ様でしたっ!!!!」 震える両手で、それを先輩に差し出す。 鼻で笑われるかもしれない…、いやいや、そんなはずはなかった。 「おぉっ!1本じゃ足りねー足りねーっ!サンキュッ!!」 完璧なアドリブでGの気持ちを汲み取りつつ、左手でそれを受け取る。 天然か、はたまた寒さの悪戯か、 両手から解放された先輩のイチモツが、ビョコンと飛び出す。 皮はスッポリ被り、 意外にも、「主将のバット」と呼ぶにはいささか寂しい代物である。 まぁ無理もない、極度の冷えで縮こまってしまっているのだろう。 加えて広範囲に生え揃った毛が、それに拍車をかけている。 「きゃーーーーーーっ!!!!!」 先輩のまさかの暴挙、突然の「打席」に、大絶叫でその場から散る女子の面々。 ここぞとばかりに響くシャッター音が、なんとも憎らしい。 「うおっ!?」 さすがに少し顔をしかめ、慌てて2つのコンポタでそこを覆う、も、 「あちっ。」 再び股間を丸出しにし、今度は少し浮かせて隠す。 まさかの大失態に、汗か海水か、頭からは大量の水分がしたたる。 羞恥と寒さでどうにかなりそうだが、でも、これだけは言っておかねばならない。 「普段はこんなモンじゃねーかんなーっ!!!!!」 最後はまた太陽のような笑顔に戻り、 照れくささの裏返しにそんな下ネタを叫ぶ先輩。 そしてそのまま、ときおり「チッ…!」と熱がりながら、どこへともなく走っていった。 「きゃーっ!!」「きゃっはっはっ!!!」 散った者たちの黄色い声が、あっちからこっちから、響く。 毎年、圧倒的女尊男卑を余儀なくされるこの禊。 きっと、乗り越えた者達の逞しい勇姿を、久音ヶ丘の神様は見てくれている。 皆、一皮も二皮も向けた、立派な「男」になることだろう。
-おしまい-
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