日記

恥ずか仕草 7

(2013年4月12日 06:30)

『涙堪え』

悔しさ余って自然と眼に溜まるものを必死で堪える、というイメージの方が大きいでしょうが、その悔しさの大半を恥ずかしさが占めているようなシチュエーションも多分にあると思いますし、ある意味羞恥の最終地点のような気もしますし、というか単に個人的に大好きな仕草なので、自己満と言われようが、構わず勝手に追加させていただきます。

萌えポイントは「本人の意思と表情のギャップ」、これに尽きますね。

「はぁ?こんなん全然へっちゃらだし。」という心の声とは裏腹に、抗おうとすればするほど視界を支配していく涙。
手で拭ってしまえば、「泣いた」ということになってしまう。泣いたことがバレてしまう。泣いたことを自分で受け入れることになってしまう。

もう、瞬きをすることすら許されない。その瞬間、涙玉が零れ落ちてしまうから。
チラチラと視線を感じる。どうせもう、周りは気づいてる。自分が今泣きそうだということに。

何処かで落としどころを付けなければいけないのだけれど、もうどうすればいいのか分からない。ただ、これが流れてしまえば、それが「泣いた」という事実に直結してしまうのは確か。
だから今は、この熱いものが頬を伝うことのないように、ただジッと、我慢するしかない。でも、もう限界だ…―。

…の、瞬間。
最高過ぎますですっ!!!はいっ!!!!゚(∀) ゚

女だったら泣いても許されるというか、むしろ自然なことのように受け入れられるはずです。きっと泣いても世間一般的には「恥ずかしくない」。
なんなら、か弱い私を演出!じゃないですけど、「ふえ~ん><」レベルで泣いてやれば済むだろうなんて思ってるクソアマ(おっと)だっているわけじゃないですか。

その反面、「涙を見せてはいけない」という、自身に課さざるを得ない縛りみたいなものを男であるならば誰しもが持っていたりするわけで。
だから、耐える。強がることを暗黙に強いられる。そこに男らしさというか、男であるが故の人間臭さみたいなものをヒシヒシと感じて、たまらなくキュンとするわけです。

「男の子でしょ!泣くんじゃありません!」なんて台詞を、躾の一環として良く耳にしますが、男女差別じゃねーか、男だって泣きたいときは泣きたいよなぁ?と同情したくなる半面、辛い時にこそ泣かない=男の美学であり、男ならそうであるべきだと思ってしまったりもして。

少し主観が入りましたが、『涙を堪える』という仕草は、直観的に得られる萌え要素と同時に、男であることによる歴史的宿命を果たそうとする美しさをも兼ね備えた、5コンポーネンツでも高得点を狙えるほどの芸術的なものであるということをお伝えしたかったので、このような記事を書かせていただくに至った次第であります。

はい、満足です。おわり。


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