日記

一人称の話。

(2011年10月15日 19:39)

どうも、Kunehiroです。
突然ですが、一人称のお話。

日本語って、いろんな一人称がありますよね。
俺、僕、私、あたし、うち、おいどん、拙者、小生、おれっち、俺様、わたくし、
あたい、おいどん、吾輩、余、ミー、…
数え上げればきりがないです。

その中でも、世間一般的に良く使われている一人称は、
「俺、僕、私」だと思います。
個人的主観で、この3つをイメージで分けるなら、

俺 ・・・ 男っぽい男
僕 ・・・ 女っぽい男
私 ・・・ 女

あくまでプライベート、仲間内でのお話、ですね。

もっと細かく分けるのであれば、

オレ、ボク、ワタシ ・・・ 小学校1、2年生
おれ、ぼく、わたし ・・・ 小学校3、4、5年生
俺、僕、私 ・・・ 小学校6年生~

ここまでくると完全に趣味の範囲になってきてしまいますが、
平仮名、カタカナ、漢字でも、やっぱり受ける印象は大分変わってきます。

と、少し話が逸れましたが、
何が言いたいのかと言うと、なんで男にだけ
一人称が2つも用意されているの?って言うお話です。

昔、とても悩んだ時期がありました。
“僕”を使うか、”俺”を使うか。

遡ること小学生時代。
地域によって様々かもしれませんが、うちの地域では、
小学校低学年の頃って、男の子は基本”僕”を使っていたんですね。
女の子は”私”、男の子は”僕”、綺麗な二分化でした。

それから間もない小学校3、4年生頃、異変が起こります。
クラスの何人かの男の子たちが、”俺”を使い始めたのです。

え、…お、…俺っ!?
最初は違和感が凄かったし、何かの冗談かと思っていたけれど、
慣れとは恐ろしくも見事なもので、その男の子たちは
ものの数週間足らずで”僕”から”俺”の人へと進化を遂げました。

更に、流行りや集団意識と言うものは子供にはとても顕著なものらしく、
それこそ連鎖的に、1人、2人、3人…、ばよえ~んと、
周りの男の子たちが次々と”俺”の園へと旅立って行きました。

違うじゃん!君は明らかに”俺”じゃなくて、”僕”の人間じゃん!と、
非を是正させたくなるような子でも、「俺だよ俺。」と、
詐欺まがいに連呼されるその度に、その違和感も少しずつ少しずつ風化され、
いつしかクラス内は、女の子は”私”、男の子は”俺”の、
まるで別物の二極化へと、その姿を変えていました。

その、大きな一人称改革の波に、
奇しくも乗ることが出来なかったKunehiro少年は、
“俺”なんて言えず、でも、時代遅れで少し女々しい”僕”も使うことが出来ずに、
結局、自分のことを指し示す言葉を、失ってしまいました。

少し異常かもしれませんが、それから高校3年生までの約10年間、
一人称と言うものを一切使わずに生活をし続けました。
ある意味凄いでしょ!(笑

支障がなかったのかと言えば、支障ありありで、
1つ例を挙げるのであれば、消しゴムのお話。

消しゴムを机の上から落とし、机周りの床を探していると、
友達のこんな声が聞こえてくる。

「この消しゴム誰の~?」

その子の手に握られているのは、紛れもなく自分の消しゴム。
だからその問いに答えようとする。それは…

…僕の…、だけど、…俺…、の、……、
………

「…いないの?じゃ~俺もらっちゃおっと!」

…嗚呼、グッバイマイイレイザー。
こんな感じで、学生時代にいくつ消しゴムを奪われたか、
皆目見当もつきません(笑

つまり、WhoやWhoseの対象が自分だったときの返事が、出来なかったのです。

「これKunehiroの?」と「これ誰の?」とでは、
質問の重みと言うものが全く違いました。
前者だったら「YES.」 or 「NO.」、でも後者の場合、
「僕の。」とも、「俺の。」とも言えないから、
ただ黙りこくることしか出来ずに、
結果、プレゼントフォーユーするしかありませんでした。

場面的に、どうしても応えなければシナリオが進まないような局面では、
手話のごとく、自分のことをひたすらに指差して、
アピールをしたりしてましたね。
で、「…え?あぁ、お前ね。」的なね。

そんな、長い長い氷河期を終え、大学に入り、
遂に、大学デビューにあやかって”俺”を使い始めました。
初めての”俺”は、それはそれは緊張して、
蚊の鳴くような小さな声での放出となりました。

体中冷汗まみれ、心拍数は無駄に急上昇、
なのに周りは当然のごとくのスルー態勢で、
嬉し恥ずかしの”俺”ヴァージン捨ても、拍子抜けで終わった記憶があります。

今では、それほど躊躇うこともなく”俺”を使っていますが、
それでも出来るだけ使いたくないし、使うたびに少しだけ勇気がいります。
分かりやすく言うならば、1回でMPを12ほど消費するレベル。
マヒャド並みですね、1日5、6回が限度です。

初対面の人や、年上の人、上司などと喋るときに
気兼ねなく”僕”が使えるときは、やはりとても気が楽です。
これみよがしの”僕”ですね。

何故ここまで一人称に対する執着があるのかと言うと、まぁおそらく
3つの一人称への強い固定観念と、それを自分に当てはめたときの
違和感と合致、それを認められない自分に非アリ、
と言ったところですかね。

諸外国だと”I”で片付けられてしまうのにと、
羨ましく嘆いたりした時期もありましたが、
でも、”I”だけ取ってみてもいろんな言い回しが出来るのは
素晴らしい日本の文化だと思うし、
なんだかんだでこの一人称のバリエーションの多さが
好きで仕方がない自分もいたりするわけです。

とまぁ、何だか収束が見えない流れになってますが、
無理矢理まとめるのであれば、つまりは

“俺”が似合う男の人ってやっぱりカッコいい!
“私”が気兼ねなく使える女子ってやっぱりズルい!

ってことです。

えー!、何それ。
まぁ人それぞれ、一人称の選択プライスレス。
…ってことでひとつ。

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