小説

テイク7 scene7

「………。」 「………。」 監督の発言に、一瞬スタジオが静寂に包まれる。 わたしも、大志も、一瞬固まる。 何故か周りのスタッフさんたちも静まり返っていた。 「……へ。」 顔を真っ赤に染め直した大志が 再び小さく一言こぼす。 湯船の中から監督を見上げるその顔は 完全にさっきのリハテイクの威勢を失っている。 嘘だろ…?目だけで、そう訴えているようにも見える。 「なんだ大志。  まさかその格好のまま本番にいくとでも  思ってたのか?」 監督の問いに、言葉もなく ただ首を大きく縦に振って見せる大志。 歯を食いしばり、じっと監督の目を見つめている。 懇願の目…?なんだか 泣きそうに見えてしまう。 「そんなわけないだろう~。  風呂に海パン履いて入る奴がいるか~?  いないだろ~。」 大志の気も知ることなく 当然の一般常識を語る監督。 そりゃそうだけどさ…、端から見ながらこのときばかりは 監督のことを、嫌な大人だなと 大志に同情の念を抱いてしまった。 「…で、でもっ……!!」 完全に動揺しきった震えた声で 監督に反論する大志。 今カメラが回っていたとしたら 確実に一発NGだろう。…今日一発目の。 「…こ、これ…、これは…  ただの撮影だし…!!」 「そうだ、ただの撮影だ。  でもな大志、俺はいつも常にリアルを求めてるんだ。  分かるか?リアルだ。本当の・真実の、って意味だ。  たとえ作り物のドラマの中だとしても  俺はその信念を曲げたりはしたくない。  今までずっとその信念を通してきたんだ。  この仕事に就いてから、ずっとな。」 「……で、でも、でもさ……。」 突然このときとばかりに 自分の監督としてのやり方、誇りについて 身ぶり手ぶりを使い、淡々と語りだす監督。 それは素晴らしいことだと思うし、立派だと思うけど こんなときに、プロとは言え子供の大志に そんな話を持ちかけても… 当然、監督のその熱い語りで 大志が、じゃあ脱ぎますと、首を縦に振るワケもなく ただただ困ったように、でも発する言葉もないように 監督の目だけを見つめ続ける。 子供のわたしにも分かる。…いや 子供のわたしにだから分かる。 “そんなの知ったこっちゃない…!” あの目は、そう発している。 「なぁ大志、そんな深く考えんなって。  やることはさっきと全く一緒なんだから。  さっきやっただろ~?  完璧な演技だった。俺が認めてやる。  違うのは、その海パンがないってことだけだ。  何にも難しいことなんてない。」 まるで優しいお兄ちゃんのように まるで弱者を騙す詐欺師のように 全く似合わない甘い笑顔を携えながら 大志の説得に入る監督。 「…で、でもっ…!!  海パンなかったら…、お…、  …オレ……」 ドンドン饒舌になる監督に ドンドン小さくなっていく大志。 …当然だよね。 海パンがないだけって… そこが一番の問題なんじゃない。 海パンがなかったら、大志は… ふ、…フル… 「大丈夫だって~。  気にし過ぎなんだ大志は。  別にカメラにちんちん映すわけでもないし  誰もそんなにジロジロ見たりしないから。  …な、理奈ちゃん!!」 「…ふぇ!?」 急に自分にふられ、驚きすくみ上がるわたし。 「…は、はいっ!!も、もちろん…」 「なっ!!」 とりあえず、そう咄嗟に答えた。 と言うか、それしか解答が見当たらなかった。 きっと、わたしの立場になった人なら みんながみんなそう反応していたはず…だよね。 わたしのその応答に 即座に睨みを利かせてくる大志。 その力強い眼差しに、即座にそれを逸らすわたし。 裏切り者…!!とでも言いたそうな目だった。 ごめんて…、心の中で謝ってみたけど なんで謝らなきゃいけないの…と言う 納得のいかなさもすぐに湧いてきた。 ただ、その鋭い瞳の中に 涙玉が溜まっていたのを思い出すと すぐにその感情も押し殺すことが出来てしまった。 「なぁ大志、頼むよ。」 なかなか首肯してくれない大志に目線を合わせるように ゆっくりと床に膝をつける監督。 「………。」 視線を湯船に移し、ジーッとその揺らぎを見つめる大志。 きっと、自分の海パンを見つめているんだろう。 葛藤している…視線を大志に戻し、そう思った。 「大丈夫だ。  ちょっと恥ずかしいだけだ。」 顔の高さを完全に大志と一致させ 普段の監督を想像すると、身震いを起こしそうなくらいの 柔らかい口調と笑顔で、そうなだめる。 「………。」 さらに葛藤を続ける大志。 少しずつ、大志の口の形はへの字へと変化していき その顔は今にも… 「…大志。押してるの、時間。  …覚悟決めよ?」 極めつけは、いつの間にかセットの近くまで来ていた マネージャーさんの一言だった。 いつも聞かされていた愚痴っぽいそのセリフ。 今の大志にはきっと、もの凄く重くのしかかっただろう。 もう10分くらい、大志のせいで撮影がストップしている。 「……ぅっ。」 マネージャーさんの言葉に、堪え切れなくなったものが 大志の目から、湯船へと零れ落ちる。 泣いちゃった…。 初めて見た、泣いてる大志なんて。 いつも強気なイメージだから、ちょっとビックリ。 でも、それくらい嫌で、昨日からずっと嫌で ずっとずっと堪えてたんだろうな。 それに、自分のせいで周りに迷惑をかけているという 情けなさ過ぎる事実が重なって 溢れだしてしまったんだろう。 「泣くなって~。男だろ?」 監督の問いに、涙を拭いながら、鼻をすすりながら 無言で頷く大志。 「よしよし。」 一緒になって、大志の涙を 手で拭ってやる監督。 「…脱げるか?」 今しかないとでも思ったのかな。 続けざまに問いを連鎖する監督。 少し間を置いた後、手で目を押さえながら ゆっくりと、その問いにも、首を縦に振って応える大志。 「よし、それでこそ男だ。」 満足そうにニッと笑い、大志の頭を撫でてやる監督。 全くもう…と、少し困ったように でも微笑ましそうに笑うと マネージャーさんはセットの端へとはけていった。 頷いちゃった…納得させられちゃった…。 大志…、すっぽんぽんになっちゃうんだ…。
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