小説

テイク7 scene8

少しもしない内に すすり声を漏らしながら 浴槽の中でモゾモゾと動き始める大志。 きっと、全ての決心が着いたんだろう。 数秒足らずで浴槽の中からあるものを取り出し 監督に差し出す大志。 …紛れもない、紺色の海パンだった。 それを受け取り、また満足そうにニッと笑い 大きく頷く監督。 「よくやった、やっぱりお前はプロだ。」 最高の褒め言葉を大志に投げかけながら 脱ぎたての海パン片手にゆっくりと立ち上がる監督。 …ホントに…脱いじゃった。 大志、…すっぽんぽんになっちゃった。 わたしのこの位置からは見えないけど きっと監督からは丸見えだろう。 …今、湯船の中で、大志の…アレが ゆらゆら揺れてるんだろう… なんて、恥ずかしすぎることを考えていたけど 温泉の素か何かを入れてたせい 、お湯が白く濁っているから まだ見えるわけがないん…… 「…、い  いつまでそんなとこ突っ立ってんだよっ!!」 …!!? 急に耳に届く罵声に、ハッとする。 誰…?最初混乱して分からなかったけど この声は何人もいる声じゃない… 視線を向けると、泣きやんだけど少し目を腫らした大志が わたしを睨みつけていた。 「早くスタンバれよっ!!  じゃないと…、み…、見せてやんねーぞっ!!!」 顔をまっかっかにしたまま、更にそう付け加える大志。 豹変…?突如強気になった大志に動揺するわたし。 吹っ切れた…とは、こういうことを言うんだろう。 …で、それより…、え。 見せて…やんねー…?な、何を…? ……?………!? その意味をようやく把握し 急速に恥ずかしくなり始めるわたし。 …な、何言ってんの…!! 「…わ、…分かってるよっ!!!」 その答えに相応しいかどうかは分からないけど とにかくわたしはそう大志に吐き捨て 浴槽セットの外に駆け足で移動し、急ブレーキで静止した。 「ははははっ!!大志、急に強気だな~!!」 大笑いする監督。 それに釣られて、スタジオ全体が一斉に笑いに包まれる。 そんな中、所在なく1人顔を赤らめるわたし。 …何よ、急に…、急に……変なこと…!! いーよ。…いーよ!望むところだよっ。 後悔したって知らないんだからっ…。 …見るよ、全部見るよ、…見てやるよっ。 …あんたの、……あんたのっ……!!! …スタジオは依然として、異様な空気に包まれていた。 いや、わたしの心情が 異様だっただけかもしれないけど…。 カメラの後ろへと後退した監督が いつもの椅子に腰をかけ、メガホンを手に持つ姿が 横目に映る。 「よし、じゃ~始めるか。  2人とも準備はいいか~?」 遂に来た。 「…は、はいっ!」 震える声を整えるように返事をするわたし。 集中集中…。 大志の返事は聞こえてこなかったけど ドアの向こうで、浴槽の中で、無言で頷いたんだろうな。 その証拠に、小さく頷く監督を視界の端が捉えた。 「よし、じゃ~いくぞ。」 …来る。切り替え切り替え…。 大丈夫大丈夫、…こんなの大志に比べれば…! 「【シーン21-6】…、よーい、  …アクション!」 大きなカチンコの音が、スタジオに響き渡る。 …行くよ。 アクティベイティング・アクトレス・モード。 ―ドンッ。 浴室への扉を思いっきり開くわたし。 湯気がモンモンと立ち込めている。 セットとは思えねいリアルさに、胸の鼓動が増す。 その湯気の向こう側に… お湯に浸かる大志が、…ミノルがいた。 息を切らすわたし。 演技のつもりだったけど、自然と出てしまった… と言う方が、正解のような気がする。 ミノルに視線を送るわたし。 当然オウム返しのようにわたしを見てくるミノル。 目を少し見開いて、マックスの80%くらいの驚きを その顔で表わそうとしてる。 …なんて顔してんのよ。 一瞬狼狽してけど、すぐに女優モードに戻るわたし。 この後に及んで悔しいけど、台本通り 完璧な表情をしてると、評価せざるを得ない。 「ミ、ミノル~!!!」 あまり間を開けては不自然だから すぐさま台本のように叫ぶわたし。 最初のミは予定範囲外だったけど NGレベルじゃないはず。 カットはかからない。 「…なんだよ。」 ぶっきら棒に応えるミノル。80点。 「アンタ、わたしのビー玉どこやったのよっ!?」 恥じらいを押さえて叫ぶわたし。 少し泣きそうになりながら睨みつける表情もエクセレント。 100点。 「…はぁ?…知らねぇし。」 視線を逸らしながらとぼけてみせるミノル。 そのいかにもわざとらしい演技。 やっぱりミノルのキャラ設定をよく理解している。 …85点あげるよ。 「アンタしかいないでしょ!?」 浴室の中に1歩歩み寄りながらの演技。 近づく浴槽とミノルに、動揺が生まれて少し声が裏返る。 …ヤバいちょいミス87点…!! 「……。」 でもカットはかからずに、静かな沈黙が流れる。 …………。 …ってことは…、このあと……!!! ……… …… … 「カットーーーーー!!!」 監督の荒声に、湯気と邪念でぼやけた脳がリセットされる。 …え、わたしのミス…? 「大志ー!そこは2秒くらいの沈黙のあと  次の演技に行くんだろ~?。  そんなに間を開けなくてもいいんだよ。」 監督の指摘。 …あ、そっか。それでNGになったんだ。 …、NG…、今日初のNG。 「…、す、すみません。」 目の前には、顔を真っ赤にして小さく謝罪する ミノル…、いや、大志の姿があった。 両手を浴槽の脇に置いて 次の瞬間にすぐに飛び出せるその体勢で止まっている。 …躊躇ったん…、だね。… ……そりゃそうだよね。 さっき一瞬あんだけ強気になってたのに なによこのザマ…ともちょっとは思ったけど そんな悪女みたいな感情はすぐに払拭されて… 「理奈ちゃんごめんな~、撮り直し。」 監督からのメッセージ。 「…は、はいっ。」 固まる大志を一瞥し、セットの外へと戻るわたし。 撮り直し…か。なんか、久々に聞いた気がする。 そっか、…そりゃそうだよね…。 でも 「大志~、次はちゃんと頼むぞ~!」 容赦なく次のスタンバイに入る監督。 少し前までの偽善者の姿は今はもうなく いつもの本気モードの監督に戻っている。 返事はない、聞こえない。 無言で頷いたのかどうかも分からない。 …でも、もう戻れはしない。止まらない。 「よし、じゃー次スパッと決めるぞ~!」 …集中集中。 「テイク2~。  よーい、…アクションッ!!!」
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