小説

雑草と太陽 13

いろいろと考える頭など、もうあるはずもなく、 ただ無心で、校庭の端、目立たないあの木陰へと向かう。 当然のごとく、そこにノリはいて、 当然のごとく、いつもの見慣れ過ぎた動作を繰り返していた。 僕は、自分でも驚くぐらい、全く躊躇うこともなく、 ズカズカと、そのスタート地点まで歩を進める。 「………。」 僕の姿を一瞥するも、表情一つ変えずに、 きっと僕の存在なんていないものとみなして、練習を続ける。 なんで、…なんでだよ、…ノリ。 なんであんなこと…、 「ノリ…。」 かすれ切った声がなんとか口外に漏れて、ノリの耳にそれが響く。 「…また笑いに来たのか?」 僕の顔など見ず、吐き捨てるようにそう呟き、また走り出す。 そんなわけないだろ、あれは完全な誤解で…、でも、 今はそこを噛み砕いている余裕なんて、あるはずなくて。 「なんで、…なんであんなの、承諾したの…?」 戻ってくるノリに、問う。 「…お前には、関係ないだろ。」 また走り出すノリ。 関係、…ないかもしれないけど、 関係、大アリなんだよ、…僕にとっては。 やだよ、もう想像したくないよ、だって…、また、 「また…、みんなに…、  ちん…こ、…見られちゃうんだよ…?」 ちんこ、なんて、普段恥ずかしくて絶対言わないけど、 自然と口から、零れ出ていた。 「………。」 僕の確認に、ノリは返答なくまた走り出す。 歯を食いしばっていたのが、なんとなく頬の強張りから、 見てとれてしまった、気がした。 その後もノリは、僕の存在はいよいよ完全に無視して、 ただただ、走っては戻ってを、坦々とこなす。 走れば走った分だけ、結果に繋がると思っているんだろう。 あとちょっと頑張れば、鹿島に勝てると思っているんだろう。 きっと今までがそうだったから。 でも、駄目だよ。ノリ。 それじゃあまた、同じことの繰り返しだよ。 そんなの、本気で頑張ってる人には、絶対に言っちゃいけない台詞だし、 言う権利なんて、僕には、誰にだってない、はずだった。 でも、…でも、…っ、 「それじゃあ、鹿島には勝てないよっ。」 走り出したノリの背中に、震える声でそうぶつける。 きっと今以上に嫌われちゃうに違いない、けど、 ノリのためにも、僕のためにも、言わないといけない、と、思った。 ノリの動きが10m付近で急に減速し、ゆっくりと、止まる。 「…今なんつった。」 大きく息をする背中から、憎悪に溢れた声がする。 …だから、 「だから、  それじゃあ絶対に鹿島には勝てないって言ったんだよっ。」 怖くて、言った後はもっと怖くて、でも、言うしかなかった。 でも、こんなこと言ったら…、 …!? 大きくグルリと振り返り、大股で、凶暴な狼のように突進してくる。 そして、 …んっ!!! 胸ぐらをグァッ!と掴まれ、そのまま真後ろのネットに押しつけられる。 凄い力だ、痛いよ…、ノリ。 殴られるの、かな。 「…はぁ…、はぁ…、はぁ……!!」 もの凄い形相と荒い鼻息。 そのまま、何も言わず、僕を睨みつけてくる。 そんな顔しないでよ、怖いよ…、ノリ。 僕は…、ただ僕はもう… 「もう…、ノリが負けるの…、  ノリが悲しい思いするの…、嫌なんだよ…っ。」 つくづく僕は、弱い人間だ。 こんなところで泣いたって、ノリが困るだけなのに。 スルスルと、強い力が抜けていく。 ノリは優しいヤツだから、離してくれるだろうな、とは思っていた。 別に計算していたわけじゃなくて、心の底から悲しくて、 堪らなくて、涙が出てきちゃっただけなんだけど、さ。 「…………。」 男のくせに泣きじゃくる僕に、どうしていいか分からずに、 頬をポリポリ、所在なさ気に立ちすくむノリ。 ごめんね、ノリ。 結局、居心地の悪さに耐えきれなくなくなったのか、 唐突にもう1本、50mの消化を始めるノリ。 …ごめんね、ノリ。 ゆっくりと戻ってくる姿に、何か声を掛けなきゃと、 涙を袖で拭きながら、必死で考えていると、 「…じゃあ、どうすれば勝てるんだよ。  ユキには、…分かるのかよ。」 予期せぬあちらからのアクションに、 きっとどうしようもなく、間抜けな顔を晒してしまう。 と同時に、こんな状況なのに凄くドキドキしてしまった、のは、 こんな甘えたセリフを言うノリ、初めてだったからだろう。 それに、ユキって、久々に呼んでくれた気がしたからだろう。 なんだか凄く嬉しくなって、何故だか凄く恥ずかしくて、 思わずにやけてしまいそうになる顔の筋肉をグッと抑えて、 僕は、その答えを探す。 でもね、本当はノリのその言葉、僕はずっと待っていたんだよ。 だって…、ずっと、きっと、多分絶対、 誰よりも頑張るノリを見てきたのは、僕だもん。 ノリのいいところと合わせて、 ノリの悪いとこ、駄目なこと、鹿島と違うとこ、鹿島よりも劣るとこ、 両手の指を全部使えるくらいには、挙げられる自信がある。 それを全部克服できれば、ノリにだって勝てる見込みがある。 言い切ることなんで出来ないけど、そんな気も、実はしてたんだ。 隠しててごめんね。僕、怖くて、言えなかったんだ。 本当は今でも、やっぱり怖くてさ。 だからさ、確認させて。 「…怒らない?」 「…?」 怒ったノリは、泣きたくなっちゃうから。 「もし、絶対怒らないって約束してくれたら、勝てる方法、  教えてあげられる、かも。」 僕の言葉に、食いつかないわけがないノリ。 「…ホントか?」 「怒らない?」 「ホントか?」 「だから、怒らない?」 「…、怒らねーよ。」 「怖くもない?」 「…怖くも、ねーよ。」 よし、それなら、大丈夫。 「その代わり、」 ん。 「もう泣いたりするなよ。  俺、そう言うの、どうしていいか分かんなくなるから。」 染めた頬をちょっとだけ膨らまし、"さっきは困った"の表情。 キュンってならないわけがない、でも今それは置いといて、 「分かった。」 涙を全部拭き取って、心からの笑顔でそう言った。 ノリが僕を頼ってくれたのなんて、初めてかもしれない。 いや、間違いなく初めてだ。 僕なんかが力になれるのかな、本当は凄く不安だけど、 それ以上に、跳ね上がるくらい喜んでいる自分がいた。 みんなに知らせてやりたい、ノリの凄さを。 誰の目にもつかない、決して日の当らないこんな場所で、 毎日毎日、走って走って、 踏まれても踏まれても、立ちあがって立ちあがって。 まるで雑草だ。そう思う。 もちろん、最上級の賛美の意味を込めて。 でも、いくら踏まれて立ち上がったって、 結果にならなきゃ、辛い。 きっとこのままじゃ、 決して日の目を見ることもなく、枯れてしまう。 雑草はいつまでも雑草らしく? そんなの嫌だ。 ノリが、僕だって、耐えられない。 なら、 なら僕が、ノリの太陽になるよ。 …なんて、 そんな大役、僕には役不足だって分かっているけど、 誰もやってくれないなら、僕がやるしかないじゃない。 もしもそれで、ノリの役に立てるなら、 そんなに嬉しいことはない。 誰にも言わないけど、ノリにだって言わないけど、 そんな決意を、一人、胸に刻んでみた。
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