雑草と太陽 9
ノリが何処に向かったかのか、そんなのすぐに分かった。
でも、どうやって声を掛けたらいいのか分からないし、
第一さっきのことでもう頭がいっぱいいっぱいだし、
第一まだ、…直ってない。
……。
体育館の角で立ち止まり、気持ちと体が収まるまで、
ゆっくりと、深く、深呼吸。
……。
なんとか下は収まったけど、気持ちの整理は全然付かない。
そしてこれからも、いくら待ったとしても、
それがまとまることはない。
ほら、僕バカだから。バカはバカなりに、分かるんだよ。
だからって、ここでずっと待ってるわけにもいかない。
ならもう、行くしかないよね。
僕の予想の正にその通り、まぁ、ここしかないよね。
ノリは、体育館裏の階段に腰掛け、うずくまっていた。
緊張しながら、もの凄くドキドキしながら、
僕はゆっくりとノリに近づき、ゆっくりとその横にお邪魔する。
……、何にも言えない。何にも出てこない。
ただでさえ、出来れば無心でいたいのに、無理に決まってるよ。
こんなとき、気の利いたことが言える人なんて、いるのかな。
きっと、いないと思うなぁ…、…なんて、どうでもいいこと。
…はは、もう、どうしよう。
「グスッ…」
…っ?
隣りからふと聞こえてくるすすり声。…ノリの、声。
……、…そっか。
「…何しに来たんだよ。」
っ!?
かすれた鼻声に、跳ねる心臓。
…えっと、それは、その…
ふと横を見ると、少しだけ覗かせた鋭い眼差しが、
僕を、睨み付けていた。
目の周りは水滴まみれで、酷く、赤かった。
そんな顔、一度だって、見たくなかった。
「わざわざまた俺のこと、笑いに来たのかよ。」
再び顔を腕に埋め、そう言う。
「そ、んなこと、…あるわけないっ…!
笑ったりなんて…、しないっ…!!」
それだけは、絶対に否定したい。
「嘘付け、さっきみんなして…、笑ってただろ。」
「笑ってないよっ、僕は、笑ってないっ。」
「いいんだよ、嘘付くなよ。
あんな情けねーカッコ見たら、笑うのが普通だろーよ。」
そう言ってノリは、涙を拭った顔を上げ、
正面を睨み付ける。
その横顔が、悔しさに満ちていて、
でもそれ以上に、恥ずかしさに満ちていて。
頭のど真ん中に、
ノリの言う"情けねーカッコ"が鮮明に蘇って、
僕は自分を制御することなんて、出来る、はずがなかった。
「…ごめん。」
無意識に、ノリへの懺悔が口から零れる。
ごめん、…それしかもう、言葉が出てこない。
「…、謝るなよ。」
…え、あ、ちょ。よく考えたら、
このタイミングでごめんなんて言ったら、
僕が、みんなと一緒笑ってたことになっちゃ…っ!
「ち、違くてっ!!」
そうじゃなくて…、えっと、その…、
「僕が止めてれば、こんなことにはならなかったのに…、
って…。」
咄嗟に、本当に思ってた気持ちに修正する。
…そうだよ、僕が、ちゃんと止めてれば、
こんなことにはならなかったのに…、…と、
「…どー言う意味だよ。」
…え。
今まで聞いたことのない、暗い重低音が耳を突く。
……、え。
恐る恐る目線を横にずらす、…と、
そこには、憎悪と不快を宿らせた冷たい目つきで僕を睨む、
ノリの姿があった。
一瞬にして、全身の毛が逆立つ。
思わず目を逸らすも、心拍数は急激に増していく。
体が、小刻みに震え出す。
やだ、やだよノリ…、そんな顔しないで…
「止めてればって、鼻から俺が負けると思ってたのかよ。」
…え、…っ!!!
ち、ちがっ……!いや、…でも…ホン…、いやでも…!!
「ずっと俺の走り見ながら、
どーせ負けるのにって、陰で笑ってたのかよ。」
「ち、ちがっ…!!!」
そんなこと、1ミリだって思ったことないよ…!!
ずっと、心の底から応援してたよ…!!
弁解したい気持ちは山ほどあるのに、恐怖で、それ以上声が出ない。
見たことのないノリ、見たことのない声、見たことのない仕草。
何もかもがショックで、体が、全く動かない。
「じゃあ、俺が勝つって思ってたかよっ。」
少し強い、でもやっぱり、冷酷な音。
そ、そりゃあ…、そう…、…、そ…、
…そ、れは…、
「それ…は…、」
搾り出した、か細いその台詞。
発してすぐに、青ざめた。
最悪のタイミング、そんなこと、今、言っちゃったら…
……!!!!
誰かの体中の血が、逆流するような音が聞こえた。
その誰かが、サッと立ち上がる影が、視界の端に映った。
何かを拾う動きが見えた、それを思い切り投げた、
ような気がした。
-カァァァァァアアアーーーーーーーーン。
放課後の静寂に、侘しくも大きな金属音が響く。
-カランカランカラン…。
壁に衝突し、グニャリと変形したアルミ缶が転がる。
「はぁ…、はぁ…、はぁ…。」
小さな背中が、大きく肩で息をしている。
やだ、やだよ…、こんなのやだよ…
「ノリぃ…」
震える体を震わせながら立ち上がり、
蚊も鳴かないような小さな声をなんとか捻り出す…と、
「二度と俺に付きまとうなっ!!!!!」
背を向けたまま、僕に、そう吐く、ノリ。
目の前が、真っ白になる。
頭の中が、真っ白になる。
心も、体も、真っ白になる。
その代わりに、堪えていた涙が、溢れ出る。
自分の泣き声も、誰かの叫び声も、目も頬も土も空も、
もう何も聞きたくない、見たくない、触れたくない。
もう何もかも忘れたい、もう何も知りたくない。
泣いて全てを誤魔化そうとする、けど、
もう側に、ノリの姿がないのだけは、分かった。