小説

雑草と太陽 17

高速に響くスニーカーの音。 高速に駆ける2人の影。 服を着た鹿島と、素っ裸のノリ。 高速に振られる腕。 高速に回る脚。 その何処よりも高速に旋回する、ノリの、あそこ。 大きな笑い声、大きな叫び声。 違う、違うだろ。何処見てるんだよ、みんな、…僕。 美しいフォーム、まったくぶれない軸。 限界まで伸びる歩幅、衰えないスピード。 何も、言うことはない。 頑張れ、頑張れ。 凛々しい顔は、徐々にその表情を変える。 その表情は、徐々に本当のノリの顔を、映し出し始める。 崩れるフォーム、ぶれる軸。 歯を食いしばり、理性のない野獣のように、 ただがむしゃらに走るノリ。 なんだかもう、泣きそうになる。 一気に押し寄せる涙玉を、お前は来んなと拭い払う。 目を開けたそこには、今何を見ていたんだろう、 僕でも見たこともないほどに、完璧過ぎるノリがいて― 一瞬に見えないほどに、たくさんのものを見た気がした。 でも、たったの一瞬だった。 どっちが勝った?みんな。 ねぇ、どっちが勝った? 聞くまでも、ないけどさ。 ねぇ、なんで誰も答えないんだよ。 ちゃんと見てたよね、じゃあ一緒に叫ぼうよ。 せーの…、 …あーもう、もういいよ、僕が言うよ。 誰よりも先に、僕が―。 「ノリの、勝ちーーーーーーーー!!!!!!」 声量メーターが大きく振りきれるボリュームで、 恥ずかしいくらい大袈裟に、裏返ざるを得ない大声で、 みんなに、鹿島に、ノリに向かってそう叫ぶ。 呆然とする校庭脇ギャラリーの面々。 何してるんだよ、歴史の目撃者がそんなんでどうするんだよ。 「ねぇ!ノリの勝ちだよね!?みんな見てたよね!?」 体ごとみんなに向けて、全力で同意を求める。 こんな目立つことしたことない。 無理してるのは分かってる。 でも、どうしても確認しておかなくちゃいけない、大事なことだ。 ―こ、小池が叫んでる。 いいんだよ、今、そんなことは。 ―は、はえぇ…。 だろ、誰が?どっちが速かった? ―マジか…。 マジだよ。 ―まぁ、実際、 うん。 「大野の勝ち、だな。誰がどう見ても。」 ようやく1人が、それを認めてくれる。 ―うん。 ―だな、すっげぇ速かった。 ―びっくりしたぁ。 ―マジかー、すげぇな大野。 あちこちから漏れる証言。 やった…、ノリ、やった、…おめで、 「きゃーーーーーー!!!!!」 突如叫び目を覆う、目の前の女の子たちに、思わず肩がすくむ。 …僕?いや違う、僕の、…後ろ? 操られる様にそちらを向いた、…のとほぼ同時、 「っしゃーーー!!!!!!!!!」 もの凄い勢いで、何かが僕に衝突する。 加えてもの凄い雄たけびが、僕の耳元でキーンと響く。 痛くはなかったのは、ノリの衣類のお陰だろう。 そのまま倒れなかったのは、ぶつかった犯人が、 僕を抱き寄せてくれたからだろう。 …え?抱き寄せた? 誰?なんて分かってるのに、自分で自分に聞いたのは、 僕なりの照れ隠しだったに違いない。 大好きなにおいが、僕の体全体を包む。 大好きな熱が、直に僕に伝わる。 大好きなノリが、僕に抱きついた。 そうでなきゃ、こんなにドキドキするはずがなかった。 「ユキ…っ、俺、勝ったよな…っ?」 大好きな声が、荒々しく僕に訊く。 ギュッと、より強く僕を抱きしめる。 ノリの耳が、僕の耳をこする。 「…うん…、…勝ったよっ…!!」 少しだけ、腰を引く。 顎を、ノリの肩にかける。汗で、滑る。 「俺が1番…、っ、…だよな…っ?」 「うん…っ!」 目を瞑る。体中が熱くなる。 「ホント…か…、っ?」 「…ホント、だよ…。」 「嘘じゃない…、か…っ。」 「…ホント…、だよ。」 目を開け、下を見る。 ふっくらと突き出た、ノリのお尻が映る。 ―くっくっく。 ―いやーん。 ―あっはっは、他でやれ~w ―ってかせめて服着てやれ~!!w ―こっからだとまだ見えてっぞ~w ―………っ。 「ノ、ノリッ。」 「…ん。」 ノリの力が弱くなる。 「と、とりあえず…、パ、パンツ、…履こっ…。  みんな…、見…、てるから。」 「…へ。」 僕の体をゆっくり離し、自分の体を確認する。 ピョコンッ。 鋭い瞳を大きく見開き、瞬時に両手で自分のそれを隠すノリ。 続けて僕に向ける、その顔が…、 ―俺、丸出しだったの? まさにそんな、キョトンとした顔で、おかしな顔で、 僕でも初めて見る顔で、それがもうどうしようもなく可愛くて。 頭がどうにかなる前に、その感情を頭の隅に大切に仕舞う。 裏を返せば、それだけ極限の状態で戦っていたって言うことだ。 本当にお疲れ様、こんな言葉じゃ足りな過ぎるけど。 …と、それよりも今は、 「ぼ、僕が隠してるから、履いちゃって…!!」 まだ温かいパンツをノリに渡し、 今更だけど、ノリの下半身をノリのTシャツで覆う。 これでもう誰にも見えないはずだ、…僕以外には。 「…悪い。」 小さくこぼし、両手でパンツを整え、その場で足を通す。 最低なのは分かってる、でも、もう次はないかもしれないから、 ピョコピョコンッ。 最後くらい僕だけで、独り占めしたかったんだ。 ノリがパンツを履き終える頃には、みんなの視線のほとんどが、 こちらではなく、あちらへと移動していた。 きっと、ここにいる僕以外のほぼ全員の予想を裏切り、 負けてしまった、鹿島の姿がポツリ。 ―あーあ…w ―あんなこと言っちゃったから…w ―…もうっ。 ―きゃー!! 見たこともないくらいに弱った顔。 悔しさと、それ以上の絶望が顔中に滲み出ている。 乗りであんな発言をしてしまったことを、 今になって悔やんでいるんだろう。 ノリを甘く見た結果だ。 だいたいノリの罰に比べたら、あんなの風船くらいに軽いはずだ。 自業自得だよ、鹿島。 何を偉そうに、何をしたわけでもないのに強気になってみたけど、 やっぱりちょっと、可哀そうに思ってしまったりもした。 …のも束の間、 「へっ、ケツなんて出さねーよ。」 何かを小馬鹿にしたような声で、そう吐き捨てる鹿島。 ちょ…、周りもザワつく。 「そんなだっせーことするわけねーだろ、アホらしい。  大野も馬鹿だよな、女子の前でフルチンにまでなって。  恥ずかしくねーのかよ。」 …っ!!! 何言ってるんだコイツ、ノリは…、 ノリがどんな気持ちで…っ、 「俺はそんなことしねーから。  んじゃ、また明日。」 そう言って、颯爽とその場を後にしようとする…、 「ちょ、ちょっと待て…よっ!!!!」 そんなの納得いくわけない。 いつからこんなに強気になったのか。きっと今日だけだろうけど、 反射的にそう叫び、無意識で鹿島を追おうとする、…と、 強い力で、優しい力で、肩をおもむろに掴まれて、 引き止められる。 「いいんだ。」 え? ゆっくりと振り返ると、 「俺が1番だ。  それだけで、いいんだ。」 目元と口元を微かに緩ませ、満足そうに笑うノリ。 僕には眩し過ぎるくらい、まるで太陽のような笑顔だった。
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